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ファッションクロス特集 No.4

− クリエーションをいかにビジネスとしているか −
-アッシュ・ペー・フランスの現在とその成り立ち、そしてこれからの動き-

今回は、6月にオープンしたばかりのTHE TOWER RESTAURANTを会場に、アッシュ・ペー・フランス(HPF)の亀山専務をお招きして、HPFの歴史と現在を語っていただきながら、HPFがクリエーションをいかにビジネスとしているのか、そして、これからのクリエータービジネスについてお話をいただきました。
日時:2006年6月28日(水)15:00〜17:30
会場:THE TOWER RESTAURANT
名古屋市中区錦三丁目6-15 名古屋TV塔4F
講師:アッシュ・ペー・フランス株式会社 取締役専務 亀山 功 氏
参加者:クリエーター・ショップオーナー等60名

*アッシュ・ペー・フランス(HPF)の活動状況

『はじめに…』

大学の先生でもないので、こういうところでお話しすることがあまりうまくないことを先にお断りしておきます。あくまでも、私の話は「体験」からの話ということでお聞きください。

『全世界から日本へ』

では、まず最初にHPFの会社の組織についてお話しします。今年3月1日に、HPFは日本の会社3社を一社に統合しまして、海外にはパリ、ニューヨーク、香港に、4社という組織になっています。社長の村松はニューヨーク在住で、私が日本の営業の責任者ということになります。また、ロンドンにも専属スタッフがいますし、ミラノ、バルセロナ、ベルリン、ブリュッセル…、南米でもアルゼンチンのブエノスアイレス、ブラジルのサンパウロとリオに新しいネットワークを作りつつあります。
つまり、全世界に向けて仕事を広げていこう、全世界から日本にさまざまなものを集めてこようということで、今、活動をしています。

『アメーバーのように常に変化する組織』

うちの会社は「わかりにくい」とよく言われるんですけど、その理由として、なかなか組織図が描けないんですね。いつもアメーバーのように、どんどん組織が変わっている。正直、経営幹部である私ですら、今、どこで何がおきているのかつかみにくい。そういう意味では、本当にそれぞれが責任を持って、部署単位で、もしくは部署どおしの連携をやっているという会社です。
ひとつ間違えば、大変な方向に行ってしまうわけで、幸いにして今まではそれでもってるんですけど…会社組織論から言ったら、見本にはならない会社です。
さらに人が少ない。社員は230名、アルバイト入れて450名。いろんなことをやっているので、1つの部署に対しての人数は限られています。そのため、一人二役、三役と兼務が多くなっている。とかく兼務といえば、どちらかが手薄になったり、両方とも中途半端になってしまいがちなんですけど、うちの場合、なんとかそれをさせないように、兼務であったとしても、それぞれの仕事の成果をきちんと追求することが、我々のスタンスになっているんです。

『社外に向けた社内報』

お手元にお配りした小冊子。「WHOLE hpgrp Catalogue」ですが、これは社外に向けた社内報です。以前は文字どおり社内報だったのですが、数号前から外に向けてということで、店頭とかでも配布して、プレス関係者やお取引先にも配らせてもらっています。先ほどの5つの会社の活動状況が、オンタイムでわかる情報冊子です。
イベントカレンダーというページには会社のグループ内で起きたさまざまな活動をビジュアルも含めて紹介しています。社員の出張やパーティや、新しい商品も紹介してます。劇団四季の「エビータ」公演と連携してアルゼンチンのトラマンド(Tramando)の商品を限定販売する告知とか、社長のインタビュー記事もあります。最後に求人情報とショップリスト…。これを読むと、今のHPFの全容が分かるわけです。
実はこれを作っているのは、ごくわずかのスタッフで全て自前でやってる。編集長は社長秘書が兼務。アートディレクターもビジュアルも社内のスタッフでやっている。我々の会社は「自前主義」というのが非常に多くて、コストはかかるが、それでも自前でやろうということでやっているんですね。
実は、この冊子の本当の目的は求人情報にあるんです。近年、我々の会社も人材がなかなか集らない。新卒採用をしようとしてもお店を知らないで応募されたり、中途採用でも思い込みで、経験ではなくて「私でもできるかな」「勉強させてもらおうかな」みたいなスタンスで来る方が多い。お店も見ないで応募してくる。それで、店頭に来てくださるお客様やうちの店のファンの方に、もしご興味があれば働きませんか?というアプローチ。同時に我々の会社の内情を暴露している、それで一緒に働いてみませんか…というのがこの冊子の目的なんですね。

『主な展開店舗』

ここで、画像で我々の事業について紹介します。HPFはいろんな活動をしているので、企画会社とかファッションの先端の会社と誤解されていますが、我々の会社の基本は「小売り」です。成り立ちも店舗からなので、まずはお店からご案内します。
−主な店舗をビジュアルで紹介−

『店舗以外の事業』

では、HPFの店舗以外の事業についてもご紹介します。
まず、イオ(io)事業部、これは我々の会社の中で唯一企画生産、販売をしているレディスアパレルです。東京コレクションでも毎シーズン発表しています。
ルームス(rooms)は詳しくは後でご紹介しますが、合同展示会で代々木体育館のフロアを全部使ってやっているものです。
そのほか、小物卸事業部ではアクセサリーの展示会をやっているし、デニム事業部、アルゼンチンのデザインチームのコレクションのトラマンドがあります。
また、出版事業については、ビジネスとしてはまだまだ規模が小さいのですが、これから育てていきたいというのが村松の夢です。
まずは「MEAT MARKET」。我々の会社のある、ニューヨーク・チェルシーのミートマーケットのエリアを盛り上げようと、自主的に発行しているエリアガイドブックです。今、このエリアはソーホーより家賃とかが安いので、ギャラリー、ブティック、レストラン、カフェ…と若い人たちがどんどん出店してきておもしろくなりつつあるところなんです。
「roomservise」は日本のファッションを海外にPRしようと作ったガイドブックです。我々の会社の活動だけでなく、ショールームやIFFとかの展示会、若手ブランドの紹介と、日本のファッション全てを網羅したものにしたいと考えて作っています。これらの出版は全て広告で成り立っている事業です。
そして、先ほどお話した「WHOLE  hpgrp Catalogue」社外向け社内報があります。これらの中から将来、本屋さんで売れる本が生まれてきたらというのが村松の思いなんですね。 あとは、海外事業としてニューヨークのディストネーションニューヨークとトラマンド、パリのジャック・ル・コー、香港のディストネーションホンコンがあります。

*人との出会いから新たなビジネス
−様々なクリエーターとの出会いからHPFの成り立ちについて−

『HPは原宿プロジェクトの略』

我々の会社は創業1984年、創業から22年近くなります。そもそもは、ラフォーレ原宿にあった婦人服専門店を当時のオーナーから村松が借り受けて始めたものです。だからHPは「原宿プロジェクト」の略です。
村松は大学を卒業してミニコミ誌の出版社に入ったんです。就職試験には落っこちたけど、どうしてもミニコミをやりたくて無理やり入り込んだと聞いています。
それで、アメリカに取材旅行に行って、そこでヒッピーの取材をして…「ヒッピーって何だろう?」「生きるって何だろう?」が彼のテーマになった。今またニューヨークに住んで、ビジネスをやりながら、このテーマについて考え続けているんです。
そんな彼は、もともとファッションについては素人で、「食うために」この世界に入ったわけです。最初に入った出版社で最後には社長になっていて、ところが、会社が倒産して3000万円もの借金をかかえることになってしまった。どうしよう…どん底からアルバイトとかしながら、たまたま奥さんがラフォーレ原宿の婦人服専門店で働いていて、オーナーから店を譲ると言われて、それならということで始めたんです。でも最初は、原宿あたりのメーカーは相手にもしてくれないような店だったんですね。でも素人の強さは、何でも怖いものなしでやっていけることだったと言えるかもしれません。

『パリに行ったら何かあるんじゃないか』

当時、私は日本でもトップクラスの婦人服専門店に勤めていたので、いろいろと相談を受けていました。もともと村松と私は、長野の飯田の出身で高校の同級生なんですね。それで、東京で再会して、いろいろと相談にのってるうちに、それじゃあと1989年に私も会社を辞めて、1990年には村松と一緒にフランスに向かったんです。
やがて、原宿のマンションメーカーと取引きもできるようになって、「売るから貸してくれ」という委託販売で、拝み倒して商品を借りるという形で、在庫は持たない、売れた分だけ支払う…こうしてお金を作り出していきました。あちこちで、人を紹介していただいて、販売代行をしたり、サンシャインに場所が空いたからとお店を出したり、何とか社員の給料を払えるようにがんばってました。
そんな中で、ちょうど、私が入る前の1989年に、村松が学生時代の下宿の隣人と再会して、その人がカメラマンで、パリに渡っていて、奥さんがパリで帽子とかストールとかを作っているので、売らないかと言われて…村松もちょっと商売にはならないのではとは思ったけど、パリに行ったら何かあるんじゃないかってインスピレーションがあって、それでパリに飛んだんですね。そこで、その元隣人の奥さんの宮島さんと出会った。今、宮島さんはうちでデザイン活動をしてもらっているんですけどね。当時はサヨコ・ミヤジマというブランドでパリで活動していて、その共同経営者がフランソワーズ・セグルさん。さらに、ジャンルイという日本語の話せる男性とも引き合わされて、ネットワークが広がっていったんです。フランソワーズさんは我々の小物事業の中核を作った人で、ジャンルイさんは1989年にフランスにHPの会社を作ったときの社長。この人がいてくれたから、当初、HPFの社員は誰もフランス語がしゃべれなかったけど、それでもパリに会社をつくってやってこられたんですね。

『バイヤーズショップ「ドミニクロンド」』

フランソワーズさんから、村松は「あなたはセンスがないから、パリでモノを買ってはダメ。あなたには人を紹介するから、あなたは人を輸入しなさい。」と言われたんですね。実は村松はこの時、パリの現金問屋で中近東やアジア系の人が売っているアクセサリーを3000万円くらい買い込んで、全く売れなくて在庫になってたんです。
そこで紹介されたのがドミニクロンド。最初、原宿ラフォーレにドミニクロンドのブティックをつくりました。当時はDCブランド全盛で、そんな中ではドミニクロンドの店は全然売れなくて、本当に悪戦苦闘でした。我々はバイヤーズショップと呼んでたんですが、いわゆるセレクトショップの先駆け的な店だったわけです。
それでも、この店の店長は初代も二代目もとっても頑張ってくれて、初代の店長は今はHPFの経理担当、二代目の店長は佐藤美加といってルームスの責任者になっています。
このドミニクロンドさんというのはとても厳しい人で、パリの展示会に行っても、写真はとっちゃダメ、メモもデッサンもいっさいダメ。とにかく私の隣に立っていなさい。ということで、佐藤もかなり苦労したと聞いています。高い出張費を払って来ているのだから帰れば報告しなくてはいけない。でもドミニクは「日本人はコピーをすると思われている。だからそういうことをすると疑われる。デザイナーにも失礼だからいっさいそういうことはするな」と言ってたんですね。それで、佐藤はとにかくしっかりと目で見て、頭の中にイメージを焼き付けて、ホテルに帰る。それで、ホテルでもう一心不乱に書き出すということの繰り返しだったと聞いています。こうした経験が、今の佐藤をつくっている…「仕事のできる人」という評価をいただいている佐藤をつくりあげたのはこういう努力の賜物と私は思っています。

『ジャマンピェッシェのバッグ』

このあと、今のHPFの中核事業であるアクセサリー・小物雑貨の事業をするわけですが、ドミニクロンドを始めとしたフランス人の女性にいろんなクリエーターを紹介してもらい、それをもってきて売るということをしました。
ところが、これが全然売れない。展示会をやってもお客様が来ない。ところが、たまたまジャマンピェッシェ(JAMIN PUECH)のパッチワークのバッグがELLEの表紙に載った。
そしたら取引先から何と30個近くの注文を受けたんですね。このことで、我々もプレスの重要性に気づきました。

『なんでも自前主義』

今は、プレスはそれぞれのブランド、事業単位でやっているんですが、同時に平尾プレスといって、外部のプレスも請け負っていた部署があって、この平尾が独立するということで、プレス以外の出版事業の担当も含めて「PR01」(ピ−アールワン)という部署を立ち上げました。ここでは、外部のプレス、ブランディング、企画等も請け負っています。
また、PR1の中にはディスプレイを担当している部署もあるんですね。井上という女性が担当していてIFTというチーム。実は井上の実家がふとん店なのでIFTは井上ふとん店の頭文字…ちょっと遊んでるんですよ…うちの会社はね。ということで、何でも「自前主義」。これがうちの会社の基本です。

『プレスと直営店が両輪』

ということで、プレスをやることで小物が売れてきた。もう一つ、小物事業が成長してきたきっかけは、やはり、直営店の役割が欠かせなかったと思います。1993年にラフォーレ原宿にアッシュ・ペー・フランス ブティックを立ち上げたんですけど、これは思いつきで立ち上げたという感じで、半年間、全然売れなかった。これではお給料も払えない。
そんな状態だったのに、その秋冬から仕入れをして、クリスマス前になって急に上向きになった。これで、小物のHPFが認知されたんですね。それが卸の方にもリンクして、卸も軌道に乗ってきた。プレスと直営店が両輪となってHPFの小物事業は成長してきたと言えると思います。
おかげさまで、お店の方は繊研新聞主催のデベロッパーの選ぶテナント大賞で1998年から8年連続でプロポーズ賞をいただいています。HPFはなかなか出店しないということでもらっているのだと思いますが、本当のところは「出ない」のではなくて、「出れない」んです。お金がない、人もいない、小心者なので…(笑い)…出れない。でも、直営店にがんばってもらっているから、なんとかこうしてやっていけるんです。

『アートと日常の融合』

先ほどショップのスライドをいくつか見てもらいましたが、ウィンドとかディスプレイとかに我々はアートを意識しているんです。村松も「アートと日常の融合」を常に頭の中で考えながら実行している人間なんですね。今、上野の本社に古い木のオブジェがあるんです。これ、ブエノスアイレスから村松が買ってきた。昔のアルゼンチンの農耕具なんだけど、彼にとってはアートの原点。ブルジョワ的なアートではなくて、生活の中で共有できるアートをきちんとやっていきたいというのが彼の思いなんですね。この木のオブジェ、先ほど見てきたら、名古屋パルコのお店にちゃんとディスプレイされていましたよ。

『我々は全部「人」から始まっている』

最後に、今日こうして我々の歴史をお話してきてお気付きかと思いますが、我々は全部「人」から始まっているんです。出会った人からビジネス、事業戦略が始まって、それを人によって成功に導いている。先に事業戦略があって、それに人をはりつけているのではなく、最初に「この人がいるからこの事業をやろう」と考えている。そして携わっている人が成功に導く。やはり「人」だと思う。
どんなしくみ、システムがあっても、人がいなければまわせない。昨日もある会合で、マネジメントの会社の偉い人のお話を伺ったんですけど、その方も、コンプライアンスとかいろいろ言われているけど法律や決まりが先にくるのではなく、人と人と1対1で、どれだけ会社に対して自分の働いていることの自信や自覚がもてるか…、自分の仕事を楽しいと感じてくれるように、経営者としてきちんと提供できているかが大切だというお話でした。法律をただ守ればいいのではなく、感性を大切にすること。特に我々のやっているファッションの世界では特にその部分が重要だと思います。

『感性品質』

感性品質というのがあるんですね。物理的に壊れないとか、物がいいとかいった品質とは別に、感性の品質があるんです。例えば、日産のCMやi-podのCMを見ていると分かると思うんですが、物理的な品質ではなくて、雰囲気や感じ方に訴える。特にファッションの世界ではこの感性品質が大切です。そして、感性はそれを伝える「人」、お店のスタッフが物理的な品質だけでなく、何で我々はこの商品を扱っているのか、付加価値としての感性をお客様にどれだけ伝えられるかで決まってくるんです。これが伝えられないとお客様のもとに商品を届けられないと思います。

*合同展示会「ルームス(rooms)」について

−「rooms12」をDVDで紹介−

『若い人たちの才能をインキュベートする』

ルームスは、パリで合同展示会をいろいろ見て、若い人たちの才能をインキュベートする機会を我々自身で創っていきたいなと考えて、最初は上野の本社の1階で社内ブランドだけで始めたものなんですね。徐々に大きくなって、9回目からは代々木のあの大きな会場を使っています。正直、ルームスというのは、小売業ビジネスにおいてはライバルになる小売店さんに我々のネタを貸し与えることになるし、卸のビジネスからすれば同業者を伸ばしてしまう場になるわけで、我々にとっては厳しい機会をわざわざ創り出している展示会といえます。 基本的には招待の方のみの入場で、バイヤー、プレス、デベロッパー等の業界関係者のみとなっています。
中身についてはアートの場面を散りばめて、アートの発表の場も提供しています。また、ルームス全体で、毎回テーマを設けています。前回はカーニバル、次回はshowがテーマです。今は約230ブランドくらいに出展してもらっていて、次回は9月12日〜14日の予定です。
クリエーターのひとりひとりが表現するブースを「部屋」ととらえ、その集合体をroomsととらえるというのがコンセプトなんですね。
ルームスから育った、例えばe.m.は今や海外へ出ているし、こうしてルームスから世界へと飛び立つ人たちも増えています。世界から日本に来ていただく出展者やバイヤーと日本から世界へと出て行く出展者やバイヤーの交流の場として発展させていきたいと思っています。
ただ、出展にはオーディションがあります。大きくなるがゆえに薄れていってしまうおそれのある我々のレベルを守るために、オーディションを前提にしているわけですね。
ご興味のある方はコンタクトいただけば、ご案内させていただけると思いますので、どうぞ一度コンタクトください。

 

*クリエーションをビジネスに…

『出会うことを積極的に仕掛ける』

最後に今日の大きなテーマである「クリエーションをいかにビジネスにするか」という点について触れて終わりにしたいと思います。
はっきり言って、答えはないのですが、今日お話しした、人と人との出会いということ、感性を大事にすること、システムではなく「出会う」ということを自ら積極的に仕掛けることが大切なんだと思います。
確かに仕事ではコンピュータシステムも使いますが、人間のカンの方が、時には正しく、スピーディで、判断能力があると思うんです。
クリエーションというのは我々にとって永遠の課題です。利益を追求するだけなら、こういうことはやらない方がいいわけで、基本的にはものづくりをきちんとして、在庫管理をして、売れる場所に店を出して、プロモーションをして売っていけばいい。しかし、それでは働くことの意味、楽しさ、おもしろさを感じられない。そのために我々は、わざわざ非効率で、あまり儲けのないことをやっている。でも、これを極めていきたい。感動するものをお客様に提供しなくては、我々もおもしろくないし、お客様のサプライズもない。こういう我々のやり方にもひとつのおもしろさはあると思うんです。
今日は、勝手な思い込みも含めてお話ししてきましたが、分かっていただけたらと思います。ありがとうございました。

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